2019年09月25日

◎大分トリニータ名言集・用語集

類まれなる激動を経験した大分トリニータの歴史の中で
サポーターの心に深く刻まれる数々の名言や用語があります

トリニータの歴史を語る上で欠かせないエピソードとともに
ご紹介したいと思います


「イサスタグラム(イサスタ)」 ~ 伊佐耕平選手



2014年から大分トリニータの生え抜き選手として
活躍しているFW伊佐耕平選手

そんな伊佐選手が勝利試合の後、自身のインスタグラムアカウントに
スタジアムの廊下やバスの車内で撮影した選手が出演する動画を投稿するようになったことが

サポーターの大反響を呼びみんなが伊佐選手のインスタグラムを楽しみにするようになり
軽い気持ちで始めた伊佐選手も半ば投稿が義務(笑)のようになり

いつしかそれは「イサスタグラム(イサスタ)」と呼ばれ
勝利試合の後の恒例行事となりました

サポーターとしては選手の素顔がのぞきみられる貴重な投稿
今や選手とサポーターをつなぐ懸け橋として欠かせないものとなっています


「LT(LOVE TRINITA)」 ~ 藤本憲明選手



2014年にアマチュア選手としてJFLの佐川印刷SCからキャリアをスタートし
2016年に移籍したJ3の鹿児島ユナイテッドで2年連続のJ3得点王を獲得

2018年から当時J2の大分トリニータに移籍すると
チーム得点王の活躍でチームをJ1昇格へと導き

2019年のJ1でも堂々と得点王争いを演じて
チームの絶対的なエースとして君臨した藤本憲明選手

そんなシンデレラボーイがゴールを決めた後に必ず行っていたのが
右手の人差し指と親指で「L」を作り、左手はその逆の形で「T」を作る

「LT(LOVE TRINITA)」のゴールパフォーマンス
本人はシーズン途中でヴィッセル神戸に引き抜かれてしまいましたが(笑)

藤本選手がいなくなった後の市陸で行われた湘南ベルマーレ戦で
伊佐耕平選手がゴール後に「LT」パフォーマンスを引き継いでくれています

ちなみにFリーグ・バサジィ大分の森洸選手も
藤本選手の「LT」パフォーマンスを譲り受け

「LV(LOVE VASAGEY)」のゴールパフォーマンスを行っています
藤本選手が生み出したこのポーズは

本人が移籍した後も様々な形で
サポーターを楽しませてくれています


「カタノサッカー」 ~ 片野坂知宏監督



局面で常に数的優位を作り出す「ポジションサッカー」
目前の相手を綿密に分析して周到な準備をする「戦術的ピリオダイゼーション」

GKを含めた自陣でのパス回しから相手のプレスを剥がし
空いたスペースを突いて一気に攻める「疑似カウンター」

限られた戦力で常に「考えるサッカー」を植え付けながら
J3降格で絶望に沈む大分トリニータを立て直し

僅か3年での奇跡のJ1昇格をに導いた名将片野坂知宏監督
いつしか片野坂監督の戦術は「カタノサッカー」として

様々な分析を受けるようになりました
もはやトリニータ史上最高の名将と言っても過言ではないでしょう


「戦うのどに浅田飴」 ~ 浅田飴 



ツイッターでの何気ないつぶやきが社会現象をも巻き起こす今の時代
そんな時代を痛感させられるエピソードが大分トリニータにもありました

試合中は常にテクニカルエリアで大声を張り上げて
選手に指示を出している片野坂監督

トリニータサポーターにとっては最早お馴染みの光景ですが
2018年のJ2第29節の東京ヴェルディ戦後

インタビューに応える片野坂監督の嗄れ果てた声と
「試合開始後5分くらいで声が出なくなった」との問答に

会見場は爆笑の渦に…
更には見かねたスタッフがハーフタイムにゴール裏に走り

「お客様の中にのど飴を持っている方はいらっしゃいませんか」
と聞いてまわったという

この騒動の中、一人の女性サポーターがツイッターで
「浅田飴さん、同じブルーだし、片さんの喉を守ってあげて…」と呟く

そしてこのツイートに反応した浅田飴本社から
90缶もののど飴がクラブに送られてきた

大分FCの営業担当はすぐさま浅田飴の社長の元にすっ飛んでいき
それから大分トリニータと浅田飴との交流が始まります

それからというものテクニカルエリアで激を飛ばす
片野坂監督の手には必ず「浅田飴」が

浅田飴はついには大分トリニータのスポンサーとなり
「戦うのどには浅田飴」と、コラボ商品まで出すことに

浅田飴の社長は今では自前で調達したレプユニを着て
試合を観戦するほどの「大分サポ」に

片野坂監督の人間性と一人のサポーターの呟きが生んだ
大分トリニータと浅田飴の素敵な関係です


「カメナチオ」 ~ 2008年守備陣



ヤマザキナビスコカップ優勝、J1リーグ4位と
チーム史に燦然と輝く最高の成績をあげた2008年の大分トリニータ

その強さの秘密は1試合平均0.71という
Jリーグ最少失点記録を打ち立てた鉄壁の守備にありました

上本大海瀬選手、森重真人選手、深谷友基選手の3バックラインと
GK西川周作選手との連携から生まれるその鉄壁の守備は

イタリア代表の「カテナチオ(イタリア語でかんぬき、ゴール前に鍵をかける)」
とクラブマスコットのニータン(カメ)を掛け合わせて「カメナチオ」と呼ばれました

堅守により黄金時代を築いた2008年の大分トリニータを
体現する印象的な言葉です


「おつかめさまです」 ~ ニータン



2008年に大分トリニータのマスコットとして初登場して以来
その愛くるしさにサポーターの心をがっちりととらえて離さない「ニータン」

大分市出身の指原莉乃もニータンのファンであることを公言しており
指原莉乃がセンターを務めた『恋するフォーチュンクッキー』の

公式ミュージックビデオの撮影にもニータンが参加しています
スポーツチームとしての「強さ」「激しさ」というイメージから

かけ離れた「亀」をモチーフとする他に類を見ない独創的なマスコット
そののっそりした体型から自分ではまともに動けず

常にスタッフが介添えして台車に乗って移動し
毎回おちゃめなコスプレに身を包む愛くるしい姿にサポーターはメロメロ

そんなニータンの定番の挨拶が「おつかめさまです」
もう、うちのマスコットが「ニータン」でホントよかった~!


「シャムスカ・マジック」 ~ ペトリスク・シャムスカ監督



2005年9月、第22節時点で17位と降格圏に沈む大分トリニータに
1人の救世主が舞い降りました

ペリクレス・シャムスカ監督
実弟のマルセロヘッドコーチと共に

就任以降7勝3分3敗の成績を収め
大分トリニータを降格圏から脱出させ11位に導きました

その軌跡は「シャムスカ・マジック」と呼ばれるようになり
2008年にはナビスコ杯優勝、J1リーグ4位というチーム史上最高の結果を残しました


「大分はまだ死んでいない」 ~ マグノ・アウベス選手



2005年J1リーグ第23節浦和レッズ戦
真っ赤に染まるアウェー浦和の地で

11試合勝利なしで降格の危機が目前に迫っていた大分トリニータ
監督は3日前にブラジルから来日したばかりの若き指揮官シャムスカ

強敵浦和レッズ相手に降格目前のチームとは思えないほど
攻撃的な姿勢で攻め続けた大分トリニータ

1-1で迎えた後半26分、吉田孝行選手からの
絶妙なゴール前へのパスを

絶対的エースのマグノ・アウベス選手が
冷静にゴールに流し込み劇的な勝利

試合後のヒーローインタビューで
「まだ大分は死んでいない。これからだ」

と発したマグノ・アウベス選手の言葉の通り
新指揮官の元に息を吹き返した大分トリニータは

残り12試合を7勝3分け2敗という驚異のハイペースで駆け抜け
終わってみれば過去最高のJ1リーグ11位という成績に思わリ

後に「シャムスカ・マジック」と呼ばれる快進撃の
狼煙を上げるターニングポイントとなりました

この言葉はトリニータが苦境に陥る度に
「まだ大分は死んでいない」との声が挙がるほど

いまだに大分サポーターの間で語り継がれる
歴史的な名言となっています