2021年12月29日

大分トリニータ歴代監督図鑑

大分トリニータの指揮を執ってきた
歴代の監督たちを紹介します!

2024年1月8日 UP!

【大分トリニティ時代】

文正植(ムン・チョンシク) 1994年~1996年(県リーグ~JFL)
朴景和 1997年~1997年11月(JFL)
羽賀康徳 1997年11月~12月(JFL)
フォルミーガ 1998年(JFL)

【初代監督 石﨑信弘】 1999年~2001年5月



1999年(J2) リーグ :21勝3分12敗 3位 ナビスコ杯:2回戦 天皇杯:3回戦
2000年(J2) リーグ:26勝3分11敗 3位 ナビスコ杯:1回戦 天皇杯:3回戦
2001年(J2) リーグ:6勝5敗(途中解任) ナビスコ杯:1回戦
  
J2 87戦 53勝6分28敗(勝率 60.9%) 勝点率 1.90 得点率 1.82 失点率 1.07

大分トリニータがJリーグ加盟後の初代監督として
当時旧JFLのモンテディオ山形から就任

2年連続で昇格争いを演じるなど
J加入後にいきなり大分をJ2上位に押し上げましたが

いずれも最終節で一歩及ばす3位に終わりJ1昇格ならず
2001年はスタートダッシュに失敗しチーム低迷により5月に監督を解任されました

ちなみに石﨑監督はその後
川崎、清水、東京V、柏、札幌、山形、藤枝、富山と

数々のチームで指揮を執り
柏レイソルで2006年にJ1昇格、2008年に天皇杯準優勝

モンテディオ山形で2014年にJ1昇格(6位からのプレーオフ勝ち抜き)
同年に天皇杯準優勝などの戦績を挙げています


【第2代監督 小林伸二】 2001年6月~2003年



2001年(J2) リーグ:19勝4分10敗 6位 ナビスコ杯:2回戦 天皇杯:3回戦
2002年(J2) リーグ:28勝10分6敗 優勝(J1昇格) 天皇杯:4回戦
2003年(J1) リーグ:5勝11分14敗 14位 ナビスコ杯:予選敗退 天皇杯:3回戦

J1 30戦 5勝11分14敗(勝率 16.6%) 勝点率 0.87 得点率 0.90 失点率 1.23
J2 77戦 47勝14分16敗(勝率 61.0%) 勝点率 2.01 得点率 1.62 失点率 0.94
107戦 52勝25分30敗(勝率 48.5%) 勝点率 1.69 得点率 1.42 失点率 1.02

主な戦績 : J2優勝(2002)

2001年6月に石﨑監督の成績不振による解任を受け
大分トリニータサテライト監督からトップチームの監督に就任

この年は石崎体制時代の出遅れを取り戻せず6位に終わりましたが
翌年は圧倒的な強さでJ2優勝を果たしトリニータを初のJ1に昇格させました

初のJ1となった2003年は堅実な守備で失点は少なかったものの
得点力不足は深刻で14位でかろうじて残留を決めシーズン終了後に退任となりました

その後も小林監督は2008年に山形をJ1に昇格
2016年に清水をJ1に昇格、2019年に北九州をJ2に昇格させるなど

「昇格請負人」の異名をとっています


【第3代監督 ハン・ベルガー/オランダ】 2004年



2004年(J1) リーグ:8勝6分16敗 13位 ナビスコ杯:予選敗退 天皇杯:5回戦

J1 30戦 8勝6分16敗(勝率 26.6%) 勝点率 1.00 得点率 1.17 失点率 1.87

ユトレヒトやAZ等、オランダのエールディヴィジでの
監督試合数の歴代2位を誇るベテラン監督

歴代最強の助っ人マグノ・アウベス選手の活躍もあり
何とか残留を果たしましたがベルガー監督は1年で退任

もう1年見てみたかった監督でもあります


【第4代、第7代監督 皇甫官(ファンボ・カン)/韓国】 
2005年~2005年8月、2010年




2005年(J1) リーグ:5勝4分13敗(途中解任) ナビスコ杯:予選敗退
2010年(J2) リーグ:10勝11分15敗 15位 天皇杯:3回戦

J1 21戦 5勝4分12敗(勝率 23.8%) 勝点率 0.90 得点率 0.90 失点率 1.48
J2 36戦 10勝11分15敗(勝率 27.7%) 勝点率 1.14 得点率 1.08 失点率 1.36
57戦 15勝15分27敗(勝率 26.3%) 勝点率 1.05 得点率 1.02 失点率 1.40

選手時代は韓国代表でW杯でも得点を決めた名選手で
1995年の九州リーグ時代から大分トリニティに入団

1997年に引退するまでの2年間で54試合出場27得点を挙げた
大分トリニティ草創期の偉大な貢献者です

引退後は大分トリニータのコーチ、U18監督、ヘッドコーチを歴任した後
2005年にトップチームの監督(第1次)に就任しましたが

成績不振により無念の途中解任となりました
その後大分FCの育成部長や副社長等を歴任しましたが

2009年11月、クラブが経営危機に陥った責任を取って
当時の溝畑宏社長とともに副社長を辞任

その1ヵ月後、莫大な借金を抱えたため経費削減を理由に
J2に降格となった2010年シーズンの監督に就任

長らくJ1の舞台に慣れていたサポーターを愕然とさせるようなJ2での低迷ぶりでしたが
財政面の事情から途中解任もなく、15位という成績で終了し、シーズン終了後に退任しました

トップチームの監督としては結果が出せませんでしたが
チーム草創期から選手やスタッフとして長年クラブに貢献してきたのはもちろんのこと

ユース監督時代に西川周作や梅崎司を育てるなど
育成手腕は高く評価されています


【監督代行 アーリ・スカンズ/オランダ】 2005年8月~2005年9月

2005年(J1) リーグ:1敗 

2004年にハン・ベルガー監督とともにオランダから来日し
フィジカルコーチを務めた後、ハン・ベルガー監督退任後の

2005年にヘッドコーチに昇格
皇甫官監督の退任に伴い監督代行を務め

同年9月にペリクレス・シャムスカ監督就任にあわせ退団しています
その後はナミビア代表の監督等を務めています


【第5代監督 ペリクレス・シャムスカ/ブラジル】 2005年9月~2009年7月



2005年(J1) リーグ:7勝3分2敗 11位 天皇杯:5回戦
2006年(J1) リーグ:13勝8分13敗 8位 ナビスコ杯:予選敗退 天皇杯:5回戦
2007年(J1) リーグ:12勝5分17敗 14位 ナビスコ杯:予選敗退 天皇杯:5回戦
2008年(J1) リーグ:16勝8分10敗 4位 ナビスコ杯:優勝 天皇杯:4回戦
2009年(J1) リーグ:1勝1分15敗(途中解任) ナビスコ杯:予選敗退

J1 131戦 49勝25分57敗(勝率 37.4%) 勝点率 1.31 得点率 1.21 失点率 1.31

主な戦績 : ナビスコ杯優勝(2008) J1リーグ4位(2008)

2005年9月、J2降格の危機にあった大分トリニータの監督に就任
22節の時点で11試合未勝利、17位と降格圏にあった大分でしたが

就任以降、チームに魔法がかかったように7勝3分2敗の成績を収め
降格圏脱出、最終的な順位は11位まで浮上し

以降の大分の快進撃は周囲から「シャムスカ・マジック」と称されるようになりました
就任直後の浦和レッズ戦に2-1で劇的な勝利を収め

当時のエースFWマグノ・アウベス選手が
「大分はまだ死んでいない」と語ったのはあまりにも有名な話です

「クラブの現有戦力をもって最大限の効果を発揮させる」
稀代のモチベーターとしても評価されており

外国人選手等の補強策が失敗に終わった2007年を除いては
年々J1での順位を上げていき

大分でのキャリアのピークとなった2008年には
クラブ史上最高の成績となるJ1リーグ4位

クラブ史上初の主要タイトルとなるナビスコ杯優勝という
輝かしい戦績を残しました

当時「カメナチオ」と呼ばれた鉄壁の守備は
未だに破られていないJ1年間最少失点記録を樹立しました

翌2009年には優勝メンバーの大半が残留したにもかかわらず
チーム始動の遅れ、芝の不良によるけが人の続発

選手の入れ替えがほとんどなかったことによるマンネリ化など
様々な要因が重なってリーグ戦14連敗(Jリーグ連敗記録)と低迷し

同年7月に賛否両論ある中でついに解任となりました
解任という別れ方になってしまいましたが

それまでJ1に残留するのが精一杯だった大分トリニータを
J1に定着させ、タイトルが獲れるクラブ昇華させた

クラブ史上最高の名将の一人です


【暫定監督 松山博明】 2009年7月

2009年(J1) リーグ:1勝 

2006年から大分トリニータの強化担当に就任
大分の前にコーチを務めていた滝川第二高の教え子だった

金崎夢生選手や清水圭介選手等を入団させた方です
2009年7月、シャムスカ監督解任に伴い

後任のポポヴィッチの登録完了まで1試合だけ暫定監督を務め
浦和レッズに1-00で勝利してチームの連敗を14で止めました

松山さんはその後、2010年に大分を退団し
ブータン代表監督や関西国際大学監督等を務めています


【第6代監督 ランコ・ポポヴィッチ/セルビア】 2009年7月~12月



2009年(J1) リーグ:6勝5分5敗 17位(J2降格) 天皇杯:3回戦

J1 16戦 6勝5分5敗(勝率 37.5%) 勝点率 1.44 得点率 0.81 失点率 0.81

2009年7月に解任されたシャムスカ監督の後任として就任
就任当初は戦術が浸透せずに4連敗を喫し

就任以前の低迷もあって最終的にはJ2降格となってしまいましたが
終盤の10試合では負けなしと他クラブからおそれられる強いチームへと変貌していました

ポポヴィッチ監督自身は自ら減俸を申し出てまで
来季J2での監督続投を望んでいましたが

10億円以上の債務超過が発覚した大分の資金運営にJリーグの監視が入り
通訳等も含めた同監督へのの高い人件費が問題視され契約は更新されませんでした

もし「if」の世界があるのならポポヴィッチ監督が
シーズンを通じて指揮を執る大分トリニータが見てみたかったです


【第8代監督 田坂和昭】 2011年~2015年6月



2011年(J2) リーグ:12勝14分12敗 12位天皇杯:3回戦
2012年(J2) リーグ:21勝8分13敗 6位(POでJ1昇格) 天皇杯:2回戦
2013年(J1) リーグ:2勝8分24敗 18位(J2降格) ナビスコ杯:予選敗退 天皇杯:8強
2014年(J2) リーグ:17勝12分13敗 6位 天皇杯:3回戦
2015年(J2) リーグ:2勝5分9敗(途中解任) 

J1 34戦 2勝8分24敗(勝率 5.8%) 勝点率 0.41 得点率 0.91 失点率 1.97
J2 138戦 51勝39分48敗(勝率 36.9%) 勝点率 1.39 得点率 1.21 失点率 1.17
172戦 53勝47分72敗(勝率 30.8%) 勝点率 1.20 得点率 1.15 失点率 1.33

主な戦績 : J1昇格/昇格プレーオフ優勝(2012)

2011年から大分トリニータ監督に就任
降格と経営難で主力選手がほとんど流出し「別のチーム」となっていた

厳しい状況下での監督就任でしたが着実にチームを成長させ
2012年にはシーズン6位ながらもJ1昇格プレーオフを勝ち抜き

就任2年目でチームをJ1昇格に導きました
とはいえ6位から昇格したチームは

到底J1を闘い抜くことができる戦力が備わっておらず
リーグ戦ホーム未勝利、年間2勝、年間勝点14

Jリーグの歴代最低記録を多く更新する失意のJ1再挑戦となりました
J2降格後も続投してチームの指揮を執りましたが

2015年には主力の流出におり開幕から低迷
最下位に沈み、同年6月に途中解任となりました

2013年のJ1では年間2勝という散々な成績を残し
2015年にはJ3降格の一因となってしまった田坂監督ですが

クラブが莫大な借金を抱えて人件費にかなりの制約が課せられた
厳しい状況の中で1年とはいえ再びJ1の舞台に引き上げ

片野坂監督に次ぐ歴代2位となる172試合の指揮を執るなど
低迷期の大分トリニータを支えてきた監督です


【第9代監督 柳田伸明】 2015年7月~12月



2011年(J2) リーグ:6勝9分11敗 21位(J3降格) 天皇杯:3回戦

J2 26戦 6勝9分11敗(勝率 23.0%) 勝点率 1.04 得点率 1.04 失点率 1.12

2000年から16年間に渡り、トップチーム、下部組織、強化部など
様々なカテゴリで大分のスタッフを務めた後

2015年の田坂監督解任に伴い監督代行を経て監督に就任
最後で降格圏を抜け出せずJ2・J3入替戦で町田に完敗してJ3降格が決定

責任を取る形で監督退任となりました
2019年からアビスパ福岡の強化部長に就任しています


【第10代,第12代監督 片野坂知宏】 2016年~2021年,2024年~



2016年(J3) リーグ:19勝4分7敗 優勝(J2昇格) 天皇杯:3回戦
2017年(J2) リーグ:17勝13分12敗 9位 天皇杯:3回戦
2018年(J2) リーグ:23勝7分12敗 2位(J1昇格) 天皇杯:2回戦
2019年(J1) リーグ:12勝11分11敗 9位 ナビスコ杯:予選敗退 天皇杯:8強
2020年(J1) リーグ:11勝10分13敗 11位 ナビスコ杯:予選敗退 
2021年(J1) リーグ:9勝8分20敗 18位(J2降格) ルヴァン杯:予選敗退 天皇杯:準優勝

J1 106戦 32勝29分45敗(勝率 30.1%) 勝点率 1.18 得点率 0.97 失点率 1.28
J2 84戦 40勝20分24敗(勝率 47.6%) 勝点率 1.67 得点率 1.60 失点率 1.20
J3 30戦 19勝4分7敗(勝率 63.3%) 勝点率 2.03 得点率 1.67 失点率 0.80
220戦 91勝53分76敗(勝率 41.3%) 勝点率 1.48 得点率 1.30 失点率 1.19

主な戦績 : J3優勝(2016) J1昇格(2018) 天皇杯準優勝(2021)

【第1期】

かつてはナビスコ杯を制するなどの栄光を経験した大分トリニータが
まさかのJ3参戦となった2016年に就任

選手としては2000年2003年に大分トリニータに在籍し
大分で現役引退後はスカウトU15コーチ等で3年間大分に在籍

G大阪や広島でコーチやヘッドコーチを歴任した後に
古巣大分の窮地を救うために火中の栗を拾う形で大分の地に戻ってきました

1年でのJ2復帰という「結果」と上位カテゴリーで
通用するための「育成」の両立という無理難題を至上使命として課せられながら

当時若手だった鈴木義宜、松本昌也、岩田智輝等を積極的に起用して
成長させながら見事に就任1年目でJ3優勝とJ2昇格を達成

その後も自陣からしっかりとボールをつなぐパスサッカー、ポジションサッカーと
綿密な対戦相手の分析による柔軟な戦術変更でチームを更に成長させ

就任3年目にしてJ1昇格を達成、この年はJ3からJ1まで
チームを引き上げた事などが評価され、J2優秀監督賞を受賞

J1を舞台にした2019年「J2降格筆頭候補」という下馬評を覆し
9位の成績でJ1優秀監督賞を受賞しました

リーグ最少のチーム人件費をものともせずに
綿密な分析と細かな指導で常に次の一手を編み出し

結果を出し続けるその戦術と哲学はいつしか
「カタノサッカー」として世に知られるようになりました

就任6年目となった2021年には主力の大量流出に伴い
チームを一から作り直す必要に迫られ

コロナの影響で新規外国人選手の入国・チームへのフィットが遅れ
4チーム降格というイレギュラーなレギュレーション等の様々な事情が重なり

終盤の盛り返しにもかかわらずJ2降格が決定してしまいましたが
天皇杯ではドラマチックな試合の連続で

最後の試合指揮がクラブ史上初の天皇杯準優勝という
最高の形でクラブ史上最長となる6年間の指揮を終えました

J3のどん底からJ1昇格、天皇杯準優勝までチームを導いた
その輝かしい戦績のみならず

大分トリニータを愛する熱い気持ちや
常に欠かさない周囲への気配りや対戦相手へのリスペクト

涙もろいところや責任感が強いところ
お茶目で気さくなところ…挙げたらキリがありませんが

その人格からも大分トリニータ史上
最もファン・サポーターから愛された監督といえます

【第2期】

2年連続でJ1昇格に失敗し低迷感が漂う
大分トリニータに再び救世主として降臨

シン・カタノサッカーに期待です!

【第11代監督 下平隆宏】 2022年~



2022年(J2) リーグ :17勝15分10敗 5位 ルヴァン杯:予選敗退 天皇杯:3回戦
2023年(J2) リーグ:17勝11分14敗 9位 天皇杯:2回戦
  
J2 84戦 34勝26分24敗(勝率 40.4%) 勝点率 1.52 得点率 1.38 失点率 1.29

惜しまれつつ勇退した盟友片野坂監督の
スタイルを継承しつつボールの保持率を高めて

攻守の切り替えの速いトランジションサッカーを
理想に掲げてJ1復帰を目指して指揮を執った下平監督

戦術を落とし込みながらも選手の自主性と判断を重視し
2022年にはJ1昇格プレーオフに進出

2023年には一時期2位に付ける快進撃を見せるなど
期待を抱かせるチームを作ってくれましたが

決定力に欠いたり簡単に失点を重ねる試合も多く見られ
至上命題であるJ1昇格を2年連続で逸し2年で退任

観客動員平均1万人以上を目指した呼びかけや
「筋肉」を売りにした話題作りなどでも盛り上げてくれました(^^)


【歴代監督成績ランキング】

<最多指揮試合数>

(総合)

1位 片野坂知宏 220試合
2位 田坂和昭 172試合
3位 ペリクレス・シャムスカ 131試合
4位 小林伸二 107試合
5位 石﨑信弘 87試合
6位 下平隆宏 84試合
7位 皇甫官 57試合
8位 ハン・ベルガー 30試合
9位 柳田伸明 26試合
10位 ランコ・ポポヴィッチ 16試合

(J1)
1位 ペリクレス・シャムスカ 131試合
2位 片野坂知宏 106試合
3位 田坂和昭 34試合
4位 小林伸二 30試合
4位 ハン・ベルガー 30試合
6位 皇甫官 21試合
7位 ランコ・ポポヴィッチ 16試合

(J2)
1位 田坂和昭 138試合
2位 石﨑信弘 87試合
3位 片野坂知宏 84試合
3位 下平隆宏 84試合
5位 小林伸二 77試合
6位 皇甫官 36試合
7位 柳田伸明 26試合

<最多勝利数>

(総合)
1位 片野坂知宏 91勝 
2位 石﨑信弘 53勝
2位 田坂和昭 53勝
3位 小林伸二 52勝
4位 ペリクレス・シャムスカ 49勝
5位 下平隆宏 34勝
6位 皇甫官 15勝
7位 ハン・ベルガー 8勝
8位 ランコ・ポポヴィッチ 6勝
8位 柳田伸明 6勝

(J1)
1位 ペリクレス・シャムスカ 49勝
2位 片野坂知宏 32勝
3位 ハン・ベルガー 8勝
4位 ランコ・ポポヴィッチ 6勝
5位 小林伸二 5勝
5位 皇甫官 5勝
7位 田坂和昭 2勝

(J2)
1位 石﨑信弘 53勝
2位 田坂和昭 51勝
3位 小林伸二 47勝
4位 片野坂知宏 40勝
5位 下平隆宏 34勝
6位 皇甫官 10勝
7位 柳田伸明 6勝

<最多勝率>

(総合)

1位 石﨑信弘 60.9%
2位 小林伸二 48.5%
3位 片野坂知宏 41.3%
4位 下平隆宏 40.4%
5位 ランコ・ポポヴィッチ 37.5%
6位 ペリクレス・シャムスカ 37.4%
7位 田坂和昭 30.8%
8位 ハン・ベルガー 26.6%
9位 皇甫官 26.3%
10位 柳田伸明 23.0%

(J1)

1位 ランコ・ポポヴィッチ 37.5%
2位 ペリクレス・シャムスカ 37.4%
3位 片野坂知宏 30.1%
4位 ハン・ベルガー 26.6%
5位 皇甫官 23.8%
6位 小林伸二 16.6%
7位 田坂和昭 5.8%

(J2)
1位 小林伸二 61.0%
2位 石﨑信弘 60.9%
3位 片野坂知宏 47.6%
4位 下平隆宏 40.4%
5位 田坂和昭 36.9%
6位 皇甫官 27.7%
7位 柳田伸明 23.0%

<最多勝点率>

(総合)

1位 石﨑信弘 1.90
2位 小林伸二 1.69
3位 下平隆宏 1.52
4位 片野坂知宏 1.48
5位 ランコ・ポポヴィッチ 1.44
6位 ペリクレス・シャムスカ 1.31
7位 田坂和昭 1.20
8位 皇甫官 1.05
9位 柳田伸明 1.04
10位 ハン・ベルガー 1.00

(J1)
1位 ランコ・ポポヴィッチ 1.44
2位 ペリクレス・シャムスカ 1.31
3位 片野坂知宏 1.18
4位 ハン・ベルガー 1.00
5位 皇甫官 0.90
6位 小林伸二 0.87
7位 田坂和昭 0.41

(J2)
1位 小林伸二 2.01
2位 石﨑信弘 1.90
3位 片野坂知宏 1.67
4位 下平隆宏 1.52
5位 田坂和昭 1.39
6位 皇甫官 1.14
7位 柳田伸明 1.04

<最多得点率>

(総合)

1位 石﨑信弘 1.82
2位 小林伸二 1.42
3位 下平隆宏 1.38
4位 片野坂知宏 1.30 
5位 ペリクレス・シャムスカ 1.21
6位 ハン・ベルガー 1.17
7位 田坂和昭 1.15
8位 柳田伸明 1.04
9位 皇甫官 1.02
10位 ランコ・ポポヴィッチ 0.81

(J1)
1位 ペリクレス・シャムスカ 1.21
2位 ハン・ベルガー 1.17
3位 片野坂知宏 0.97
4位 田坂和昭 0.91
5位 小林伸二 0.90
6位 皇甫官 0.90
7位 ランコ・ポポヴィッチ 0.81

(J2)
1位 石﨑信弘 1.82
2位 小林伸二 1.62
3位 片野坂知宏 1.60
4位 下平隆宏 1.38
5位 田坂和昭 1.21
6位 皇甫官 1.08
7位 柳田伸明 1.04

<最少失点率>

(総合)

1位 ランコ・ポポヴィッチ 0.81
2位 小林伸二 1.02
3位 石﨑信弘 1.07
4位 柳田伸明 1.12
5位 片野坂知宏 1.19
6位 下平隆宏 1.29
7位 ペリクレス・シャムスカ 1.31
8位 田坂和昭 1.33
9位 皇甫官 1.40
10位 ハン・ベルガー 1.87

(J1)
1位 ランコ・ポポヴィッチ 0.81
2位 小林伸二 1.23
3位 片野坂知宏 1.28
4位 ペリクレス・シャムスカ 1.31
5位 皇甫官 1.48
6位 ハン・ベルガー 1.87
7位 田坂和昭 1.97

(J2)
1位 小林伸二 0.94
2位 石﨑信弘 1.07
3位 柳田伸明 1.12
4位 田坂和昭 1.17
5位 片野坂知宏 1.28
6位 下平隆宏 1.29
7位 皇甫官 1.36